2009年12月にL’Arc~en~Cielのリーダー tetsuは、アーティスト名を tetsuya へ変更しています。
その理由について、あるスタッフが関わっています。
tetsuの改名お知らせ
2009年12月1日、L’Arc~en~Cielが所属している「ソニーミュージックオフィシャルサイト」にて、tetsuの『アーティスト名変更のお知らせ』が掲載されました。
このたびL’Arc~en~Cielのリーダー、ベーシストのtetsuは
アーティスト名をtetsuyaと改称することとなりましたのでお知らせいたします。
L’Arc~en~Cielの活動ではtetsuya ソロ活動はTETSUYAの表記となります。
今後のL’Arc~en~Cielの活動にご期待ください!
これからも皆様のさらなる応援よろしくお願いします。
突然の名義変更でびっくりしました。この改名には深い理由があります。
tetsuya改名の理由
2009年11月7日午前5時40分ごろ、東京都新宿区の首都高中央環状線外回り山手トンネル内にてオートバイが道路左側の側壁に衝突、転倒し頭を強く打ったことで死亡した人がいました。この人は近藤琢哉さんという方で、長年ラルクのライブ活動に携わってきたスタッフでした。
近藤琢哉さんとは?
近藤琢哉さんはラルク初期に所属していた デンジャークルー という事務所(現在マーベリック ディー シー グループ)の舞台監督で、長年ラルクのライブ制作に関わってきました。
近藤琢哉さんは舞台監督ですが、雑用や付き人のようなことまで何でもこなし、こだわりの強いラルクメンバーの要望を最大限に叶えるべく奔走。近藤琢哉さんにかかればどんな無茶な要望や演出も実現してしまうことから、昔のテレビドラマ『コメットさん』の 魔法使いの名前から、コメットさんの愛称で呼ばれていました。
L’Arc~en~Cielのライブ映像にもスタッフとして数多く映っており、ラルクファンであれば知っている人も多いと思います。
tetsuの改名
先述の通り、コメットさんは不慮の交通事故により死亡してしまい、ラルクメンバーは悲しみにくれたそうです。特にリーダーのtetsuはライブの打合せなどでも多くの時間を過ごしてきたことから、亡くなったコメットさんの遺志を引き継ぎ、ラルクメンバーや事務所社長、その他スタッフに想いを伝えた上で、近藤琢哉の最後のyaをtetsuの後ろにつけ「tetsuya」と改名しました。
tetsuyaは後のインタビューで、僕がいつか死んだ時、あの世でコメットに会った時「おまえがいなくなった後、大変だったけど頑張ったよ」って言えるようにしないといけない。胸張ってまたコメットに会いたいと 大切なスタッフであったコメットさんへの想いを語っています。
コメットさんはL’Arc~en~Cielのライブを作り上げ 支えてきた本当に大切なスタッフでした。
例えば、『1999 GRAND CROSS TOUR』の巨大な球体舞台、ラスベガスから巨大な炎を噴出する装置を購入するなどダイナミックで素晴らしい演出をしてくれました。
コメットさんがいたら…
コメットさんは亡くなる直前まで、2011年に開催するL’Arc~en~Ciel結成20周年ライブの構想をラルクメンバーと話し合っていたそうです。もしコメットさんが生きていたら、どんなライブをみせてくれたのかなと思います。
しかし L’Arc~en~Cielはコメットさんの死を乗り越え、その後も活動を続けていきます。
これからもL’Arc~en~Cielのシングル曲、アルバム、ライブ、話題などを紹介していきます。
2010年3月に発表されたライヴビデオ『TOUR 2008 L’7 〜Trans ASIA via PARIS〜』のエンドロールにコメットさんの映像が収録されています。tetsuyaは大切なスタッフであったコメットさんの映像を残したいと希望したそうです。