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ラルク 2001年 活動休止、ソロ活動 L’Arc~en~Cielの解散危機

2001年9月にシングル曲をリリースした頃より、hyde、tetsu、yukihiroは相次いでソロ活動を開始し、特に公式発表はないものの、実質的な活動休止状態になりました。

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活動休止

L’Arc~en~Cielはメジャーデビュー以降、1997年のsakuraの事件 以外では活発に活動をしてきましたが、2001年9月にリリースしたシングル曲「Spirit dreams inside -another dream-」の頃よりメンバー全員での活動がピタッとなくなりました。公式からの発表などもなくソロ活動が始まったことから一部では解散するのではないかと憶測も流れました。

活動休止の理由

詳細な理由などは分かりませんが、tetsuは「どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった」と語っていることからメンバーがそれぞれ色んな想いを抱えていたと思われます。

2000年頃からL’Arc〜en〜Cielを取り巻く環境に閉塞感が生まれはじめ、打ち合わせでも沈黙の時間が延々流れてしまう状態にあったことが影響して、hydeは「もうバンドがうんざり」という気持ちがありました。
ソロ活動を始めいろんな世界観があって面白いと感じていたが、バンドに帰るとあまり良くない雰囲気のため、こんなの意味あるかな?と思い、一時期は「もう辞めようぜ」と、2002年にhydeはスタッフ経由でtetsuに「バンドを脱退したい」という内容の手紙を出しています。

2024年5月15日の関西ローカルABCテレビ『これ余談なんですけど…』にtetsuysが出演し、この当時のことを語っています。
tetsuはhydeの性格的に、思いつきで脱退したいなど言うはずはない、よっぽど考えた上での結論だろうから「しゃーないな」って受け入れるしかないと思い、メンバーで集まって一度は解散を決めたとのこと。
しかしスタッフから「お前リーダーなら止めろよ!」と叱られ その時 tetsuは「あ!止めなアカンかったん?」と気が付きました。
tetsuは「hydeを説得するってなかなかハードルが高い」と思ってましたが、hydeと2人だけで会ってバンド内の雰囲気や事務所との関係を改善していくことを確認し合って「じゃあ、もうちょっとやってみようか」とhydeが言ってくれたことで説得に成功しました。
ただしL’Arc~en~Cielの活動はお休みし、しばらくはソロ活動をそれぞれやっていくことになったそうです。

解散を伝えたときにtetsuを叱ってくれたスタッフ グッジョブ!

犬・猫の総合情報サイト『PEPPY(ペピイ)』

メンバーのソロ活動(2001年~2003年)

2001年9月頃よりL’Arc~en~Cielはそれぞれソロ活動を始めていきます。

hydeのソロ活動

hydeは2001年からL’Arc〜en〜Cielが在籍するKi/oon Music内に新たなレーベル「HAUNTED RECORDS」を立ち上げ、名義を『HYDE』と大文字で表記しソロアーティストとして活動を始めます。
2001年10月17日にソロ活動初の「evergreen」をリリース。HYDEが出演した「ユニクロ」のCMソングに採用されました。
2002年に2枚目のシングル「Angel’s tale」、3枚目のシングル「SHALLOW SLEEP」をリリース。HYDEの好みにより棺桶型のCDケースを作成するなど自分の表現を大切にしています。
2002年3月27日にシングル曲を収録したソロ活動初のアルバム『ROENTGEN』をリリースするなど活発にソロ活動を行っていきます。

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tetsuのソロ活動

tetsuは2001年からKi/oon Records内に新たなレーベル「SPROUSE」を立ち上げ、『TETSU69』というアーティスト名義でソロ活動を行います。
この名前にした理由は、1年以上前から持っていた複数のドメイン名の中に「TETSU69.com」があり、ホームページとして開いてもらえるしこれがいいと決めたそうです。また「69」という数字は、自分が生まれた年が「1969年」であることや「ロック」の意味もあり この名義にしたということです。
2001年7月18日、TETSU69名義で初のシングル「wonderful world/TIGHTROPE」をリリース。
2002年6月、Ki/oon Recordsからワーナー・ミュージック・ジャパンの社内レーベル、DREAM MACHINEに主宰レーベルごと移籍。
8月28日に2枚目のシングル「蜃気楼」、10月23日に3枚目のシングル「15 1/2 フィフティーンハーフ」、11月20日に初めてのアルバム『Suite November』をリリース。12月25日にライヴイベント『TEZMANサンタpresents TETSU69 special Christmas night Sweet December at 赤坂BLITZ』を開催するなどソロ活動を活発に行っていきます。

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yukihiroのソロ活動

yukihiroは2001年から新たな自主レーベル「track on drugs records」を立ち上げ「MAVERICK」がマネジメントを担当し、『acid android』名義でソロプロジェクトを開始します。
2001年9月27日にシングル「ring the noise」をyukihiro名義でリリース。この曲はPlayStation2用ゲームソフト『デビルメイクライ』に提供した楽曲です。
2001年11月19日にacid android名義で初となるワンマンライヴ「acid android act in november」を新宿リキッドルームで開催。
2002年9月にacid android名義初のアルバム『acid android』をリリースしacid androidとしての本格的な活動がスタートします。
2003年にレーベルをKi/oon Recordsに移し、初のミニアルバム『faults』をリリース。

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kenのソロ活動

kenは他のメンバーと違い方向性が見えなかったことで1年ほど音楽活動を休んでいます。この時期は麻雀と野球しかしていなかったそうです。
2002年、L’Arc~en~Cielの元ドラマーのsakuraから「Kenちゃんと音を出したい」と希望があり、色々話し合った上でkenの友人のファッションモデルEinを迎え『SONS OF ALL PUSSYS』通称『S.O.A.P.』を結成。レーベルは、MAVERICK内に設けられた、DANGER CRUE RECORDSに所属。
2002年5月に3人でバンド合宿を行い、8月9日に札幌KRAPS HALLで初のライヴを行い『S.O.A.P.』の活動が本格的に始まりました。
2003年からS.O.A.P.主催によるライヴイベント「BUBBLE FESTiVAL」を開催。同年ロック・フェスティバル「SUMMER SONIC 03」に出演。
ちなみに『S.O.A.P.』の結成日について なんとなくゆる~く始まったため誰も正確な結成日を把握しておらず、バンド名の略称「S.O.A.P(=石鹸)」にちなみ、「いい風呂の日(=1126)」という語呂合わせで、後付けで11月26日が結成日として設定されました。

ゆる~く始まり、正確な結成日が分からないから語呂合わせで決めてしまうなんて kenらしい発想ですね。

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活動再開(2003年6月~)

ソロ活動の開始から約2年半が経った2003年6月に『Shibuya Seven days 2003』を国立代々木競技場で開催します。この公演が解散ライブになるのではないか噂されていましたが、ライブ最終日の最後に場内スクリーンに2004年に行う シングル、アルバムのリリース、ライブツアーの開催予定を発表し、それまで流れていた解散説を一蹴しました。

hydeの想い

hydeは2001年に受けたインタビューで、ソロ活動を始めた経緯について「子どもが大きくなって自分の部屋が欲しくなったような感じで、自分ひとりで音楽を作ってみたいっていう欲求が出てきた」「自分の感性を、L’Arc〜en〜Cielじゃない所で発揮したいという欲求が芽生えてきたんだよね。必ずしもバンドマジックを求めてる訳ではなくて、むしろ自分の芸術を総合した物を作ってみたくなった」「バンド4人でやるのはそれはそれで凄い想像もしなかった結果になったりして良い方向に転んだりするんですけど、自分が予想したところに向かう創作っていうのを一度やってみたいなと思った」と語っています。

一時は解散危機もありましたが、hydeが思いとどまってくれたことや、各自ソロ活動を行うことで結果的にL’Arc~en~Cielの変な緊張感が和らいだのではないかと思います。
L’Arc~en~Cielは各自のソロ活動を継続しつつ活動を再開していきます。

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